日本でも、アメリカでも、沖縄でもない街

金城宏次の生まれ育った沖縄市は沖縄県下第二の市。今でも「コザ」の愛称で呼ばれる中心市街地は戦後米軍基地の門前町として興隆。
コザは1970年代〜00年代にかけて音楽やファッションを中心に様々な情報を発信。金城宏次が描くコザはきらびやかだが、どこか影のある当時の世界観。

かつての賑わいはなくなったが、今でも日本とアメリカが混ざり合った独特な景観、文化が残っており、そこに魅力を見出して様々なサービスが生まれ新たなカルチャーとなっている。

商店街が屋台に、ホテルに!

コザの街はアーケード商店街によって構成。かつて賑わいをみせた商店街も、環境の変化によってシャッターの目立つ通りになっていたが、近年アーケード商店街の中に居酒屋が並び始めた。屋台風の演出が人気を呼び週末には賑わいをみせ、地元客だけではなく感度の高い沖縄旅行リピーターも集まる人気スポットに。

また、中央パークアベニューという白いカプセル型のアーケードが印象的な商店街では、二階空き店舗を個別に客室にして通りをホテルに見立てたホテルも登場。元BAR、元キャバレーといった店舗の雰囲気を残して客室にしているのでコザらしさを楽しむことができる。

プロスポーツも盛んな街

沖縄市はプロサッカーチーム「FC琉球」プロバスケットボールチーム「琉球ゴールデンキングス」の本拠地でもあり、シーズンになると両球団ともホームゲームが盛り上がる。
また、2月になるとプロ野球の「広島東洋カープ」が春季キャンプに訪れ、1年を通してプロスポーツに触れることができる。
2023年には沖縄市コザに新設される1万人収容のアリーナにてバスケットボールのワールドカップが開催。

米軍人で賑わう1980年代のコザのライブクラブ

音楽と共にあるコザの歴史

戦後、コザに米軍基地のゲートが設けられると、仕事を求め沖縄中から民謡唄者が集まり、嘉手苅林昌、登川誠仁、照屋りんすけといった沖縄民謡のスターが誕生。
1970年代〜80年代にかけてはネオンひしめく繁華街に米軍関係者で毎夜多くの人だかりが。そこで一世を風靡したのがKOZAROCKと呼ばれる、米軍関係者向けに演奏をしていたロックバンド。紫やコンディショングリーンといった、日本のハードロックにも影響を与えたバンドを輩出。
1980年代〜90年代のコザは、民間人と米軍関係者が溢れる日本一エキサイティングな夜の街に。音楽も、喜納昌吉やリンケンバンドらが全国のチャートに登場。かの日本ポップスの女王松任谷由実もお忍びでコザの街に遊びにきていたほど。
2000年代に入り、沖縄インディーズバンドブームが起こりコザからも多くのバンドが登場。その中でメジャーで活躍したのがオレンジレンジ。今でもコザには多くのライブハウスがあり、県内では音楽の街として親しまれている。

観光にも便利なアクセス

沖縄市コザは、沖縄自動車道・沖縄南インターから車で5分。
沖縄南インター自体も那覇空港から車で30分。北谷町のデポアイランドやビーチまでは一般道で15分。沖縄本島中部に位置しているので、北部の美ら海水族館方面、南部の首里城方面に行くにも好立地。

コザを拠点にし昼は観光、夜はコザの街を楽しむというプランもおすすめ。

コザを訪れるなら
トリップショットホテルズ・コザへ

金城宏次のコザシリーズも展示しているトリップショットホテズ・コザは、アメリカ文化が色濃く残る沖縄市コザの街を感じていただくため、商店街の二階店舗をリノベーションして10種類のスイートルームをご用意。
テーマは「街がホテルのラウンジ」。街をホテルに見立てた、沖縄初の街ホテルを堪能あれ。